(ゾウも越えた小川越)
悠久の歴史と文化を育んだ京都北山。
私の育った故郷の山。
京の都の北方に重畳する千米に満たない隆起順平原の山並み。
京と若狭を結ぶ、苔むした峠道。
高圧鉄塔もなく、林道もなく、木間道を行った頃の美しい北山が懐かしく想い出される。
若狭は古来より、天皇の食料を調達する「御食国(みけつくに)」として、京と若狭を結ぶこの道(若狭街道)を往来に使用してきた。
また、興味深い話しとしては、『1408年、日本に最初に上陸した「ゾウ」が小浜の港から京へ歩いたといわれている・・』(「中世南島通交貿易史の研究」小葉田淳:京都大学名誉教授)。日本に初めて象が渡ってきた港町小浜として、「『応永十五年六月二十二日に南蛮船着岸、帝王御名亜烈進卿、番使々臣問丸本阿彼帝より日本の国王への進物として、生象一疋、黒山馬一隻、孔雀二対外色々…』スマトラ島のパレンバンは貿易港として発展し、華僑の勢力下にあった。帝王御名亜烈進卿が将軍足利氏に贈ったものである。」としている。
日本に始めて渡ってきたゾウは小象で、遠敷川を溯り、百里が岳の西の根来坂を越えて江州朽木村から小川越(こがわごえ)を経て、久多・小黒坂(おぐろざか)から八丁平へ至り、さらに、フジ谷峠、大見尾根、花背峠を経て鞍馬から京へ歩いたとされている。
ゾウを生まれて始めてみた当時の民衆の驚きはどのようなものであったろう。また、足利将軍は、大きくなりすぎたゾウの世話に閉口して、同じ道を戻って大陸に送り帰したとも言われている。
これらのことから、相当に整備の行き届いた街道が本道として山中を延々と幾つもの峠を越えて、若狭に通じていたことが想像できる。
京都北山の尾瀬といわれる高層湿原、八丁平の東側に残る旧道跡は、峠の杉の古木とともに、六尺道(その昔、ろくしゃくどうと呼ばれ、牛馬が往来できる程の立派な街道が整備されていたらしい)の名残を今も留めている。
<注記>
この文章は、当サイト「おとこYAMA」の「コーヒータイム(気ままな、YAMAの話)」の項に「遥かなる若狭越3 〜ゾウも越えた小川越と榎木峠の所在〜」として掲載している文章の一部を加筆・修正したものを、ウェブマガジン「山のはなし」(04号2000:02:20刊)に投稿・掲載されたものです。